2022/09/19【引退報告】鈴木忠選手
鈴木忠選手が2022年8月28日に開催されました北海道マラソンをラストレースに現役引退することとなりました。
中央学院大学を卒業し(箱根駅伝3区、1区で出場)、2011年にスズキ株式会社に入社、12年という長い間
現役で活躍してくれました。
現役時代ベスト記録更新
【ハーフマラソン】 1時間3分55秒→1時間3分49秒
【フルマラソン】 2時間16分15秒→2時間10分46秒(2020年)※スズキ記録
フルマラソンは20回完走し、4度の優勝経験があります。
フルマラソンでのネバリと勝負強さが際立つ選手でした。
では、鈴木忠選手の競技人生をふりかえります。
大学時代から怪我の多い選手でスズキ株式会社に入社後も怪我に苦しみます。
はじめの2年はレースに出場も少なく、継続した練習ができませんでした。
今思えば環境の変化に対応するのがとても苦手な選手でした。
3年目となり徐々に環境に慣れ、練習が積めるようになり、
そしていきなり初マラソンで優勝します。アップダウンの多いタフなコースでしたが2時間16分16秒で走っています。(大田原マラソン)
順調に経験を重ね、5年目の防府読売マラソンで3位入賞し2時間13分10秒で自己記録を大幅に更新します。
しかし、ここからという時に足首の故障により手術することになります。2ケ月の松葉杖期間を乗り越えましたが、他のメンバーが
北海道で夏合宿する中、一人寮に残りひたすら自転車をこぐ日々が続きました。走ることが人生の一部のような選手なので自分が走れないこと、メンバーが合宿先で強くなっていく姿をみることはとても辛かったと思います。
しかしそこで腐らないのが鈴木忠という男、どんな苦難もあきらめの悪さとガッツで乗り越えます。
そのシーズン一番出遅れていましたが、ふたを開ければシーズンで一番のタイムを出していました。
(2017静岡マラソン2時間12分09秒 第2位)
短い期間でみせる集中力はすさまじいものがありました。
チームが大きく変わった2019年からも練習の変化に苦しみます。若手がラクラクと練習をこなす中、夏の合宿では練習にラストまで付くことができませんでした。
ここからあきらめず練習をひたすら繰り返すことで徐々に対応し2年かけて自分のものにしました。
その成果が2020年防府読売マラソンで記録した2時間10分46秒の現スズキ記録でした。
すっきり諦めることがカッコいい、諦めることで安定した生活ができる、大人になるとはそういうことだと思っていました。
あながち間違った考えではないと思います。鈴木忠を見ていると諦めないことが人間にとっての生きる力であり、
本来の人間らしさなのだと感じさせてくれます。諦めずにやったその先をチームにみせてくれました。
2021年には苦手なトラックレースで1500mに出場するなど自身の殻を破るために新しいことにチャレンジします。
ベテランでもチャレンジすることや素直さの大切さを教えてくれました。
よく食べ、よく眠り、よく走り、よく食べる、好き嫌いはとても多いですが、
メンバーのだれからも好かれ、鈴木忠がいることでチームの雰囲気が明るくなります。
スズキアスリートクラブにはキャプテンはいませんが、キャプテン的存在でチームを引っ張ってきてくれました。
(筆者自身もコーチとしてではなく先輩後輩の関係の中たくさんのことを忠から学びました。)
環境の変化、足の手術、競技を続けるうえで多くの困難がありましたが、乗り越え、それを受け入れてきた魅力ある人間力。
唯一の休みである日曜日もかわらず朝練をする姿、練習後2人の子供と毎日お風呂に一緒に入り、土日の空いた時間は子供が満足するまでとことん遊ぶ、競技と育児は想像以上に大変だったでしょう。「大変です!!」と言いながらも充実した笑顔だったのが印象的でした。
奥さんと家族の支えが大きな力となり、競技に集中できたのではないでしょうか。
最後の北海道マラソンでは、ゴール後の表情は晴れやかで本当にやり切ったと感じることができました。
浜松から家族や後輩の大石選手も北海道にかけつけラストレース、競技人生をねぎらいました。
鈴木忠の胸には何よりも輝いた大きなメダルが2つかけられていました。
2人の娘さんと奥さんが手作りしたものでした。
競技生活19年間をねぎらうようにそのメダルが寄り添い、輝いて見えました。
▼鈴木忠選手よりご挨拶
先日の北海道マラソンをもちまして、現役を引退する運びとなりました。
この場を借りてご報告させて頂きます。
私は、入社12年目になります。
入社時からケガが多く、大した結果も残せていなかった私を、
長い間、育てて頂いたチームには、本当に感謝しています。
また、常日頃から、ACの活動にご理解、ご協力、ご声援を送ってくださった
社員の皆様へも本当に感謝しております。
ここに至るまで、嬉しい思いをしたり、悔しい思いをしたりなど様々な経験をさせて頂きました。
自分の好きな事に没頭できた事は、本当に幸せな事だったと改めて思っています。
足の骨は、両手で数えきれないぐらい折ってきましたし、手術もしました。
それでも、心は折れずに最後まで走り続けてこれました。その気持ちの強さが僕の強みです。
この先、今までとは違った困難に出会うと思いますが、競技生活で培った、折れない心を武器に頑張っていこうと思います。
今までご声援を送って下さった皆さんのお力に少しでもなれるよう、日々成長していきたいです。
本当にありがとうございました!
※ゴール後現役時代を支えた家族と。
12年間現役で走り続け、競技も家族との時間も全力だった鈴木忠選手、本当にありがとう。
本当にお疲れ様でした!
CATEGORY
ARCHIVE
- 2024年11月(1)
- 2024年10月(2)
- 2024年7月(2)
- 2024年6月(1)
- 2024年5月(1)
- 2024年4月(1)
- 2024年3月(1)
- 2024年2月(1)
- 2023年12月(2)
- 2023年8月(4)
- 2023年7月(4)
- 2023年6月(2)
- 2023年5月(1)
- 2023年4月(2)
- 2023年3月(3)
- 2023年2月(4)
- 2023年1月(2)
- 2022年12月(1)
- 2022年11月(2)
- 2022年10月(1)
- 2022年9月(4)
- 2022年8月(3)
- 2022年7月(6)
- 2022年6月(3)
- 2022年5月(4)
- 2022年4月(3)
- 2022年3月(5)
- 2022年2月(2)
- 2022年1月(3)
- 2021年12月(2)
- 2021年11月(3)
- 2021年10月(4)
- 2021年7月(1)
- 2021年6月(5)
- 2021年5月(2)
- 2021年4月(1)
- 2021年2月(1)
- 2021年1月(2)
- 2020年12月(3)
- 2020年11月(2)
- 2020年10月(1)
- 2020年9月(3)
- 2020年8月(5)
- 2020年7月(5)
- 2020年6月(1)
- 2020年5月(1)
- 2020年4月(2)