2023/12/04【一般種目・ヘッドコーチ就任のお知らせ】中村明彦
2023年10月28・29日の母校中京大学で行われた「中京大学土曜記録会」をもちまして中村明彦(十種競技)が競技を引退し、スズキアスリートクラブ・一般種目ヘッドコーチとして、選手のサポート及び陸上競技の発展と普及活動に取り組んでいきます。
◎中村明彦コメント
2013年に入社し11年。スズキをはじめ勤務先の「自販中部アリーナ三好」、卒業後もトレーニングをさせていただいた「中京大学」、そして長きにわたり多大なるサポートを頂いた多くの関係者の皆様に感謝申し上げます。
永遠に続いていくように感じた現役生活は終わってみれば、とても長いようであっという間でした。現役生活のほとんどは最高の二日間のためにトレーニングに費やし、心身ともに辛い時間でした。特に競技人生の後半は、恩師の死やコロナ禍による国際大会の中止や延期など自分ではコントールできないアクシデントの連続でした。そんな中でもここまで来られたのは家族やチームメイト・ともにトレーニングをしてくれた仲間がいたからだと確信しています。
製造する車両に確固たる信念を持ち、アジア・ヨーロッパに展開し全世界で車を販売している社の方針と自分が世界に打って出るための『日本で勝ち、アジアで戦う。アジアで勝って世界に出ていく。』というビジョンを重ねていました。
国内では合宿で行く先々や競技会の開催地、試合に向かう道すがら見かける【 S 】マークに安心感と戦い抜く力をもらいました。
海外遠征ではドイツによく遠征しました。その際はドイツ支社にお力を借りキャリアを取り付けたエスクードやSクロスをお借りして遠征しました。世界を股にかけ活躍するスズキに感動し「自分も同じように世界で活躍するんだ。」と心に誓ったのをよく覚えています。
【ドイツ支社で車を借り、棒高跳びのポールを積み上げている様子です】
たくさんのサポートをいただいた競技生活でしたが、入社後アジア大会2回、世界選手権2回、オリンピック1回とアジアで戦い世界の舞台には立てたものの世界との差・厚い壁に跳ね返され続けました。結局、世界の壁を乗り越えメダルはおろか入賞も果たせませんでしたが挑み続け跳ね返され続けた日々が今では誇らしく思います。自分では越えられなかった壁ですが、跳ね返された分打ち込んだ楔を足掛かりに後進の選手が活躍することを楽しみにしています。
最後になりますが、競技を終えアスリートクラブの一般種目ヘッドコーチに就任いたしました。これまでに頂いたサポート・教えを胸に後進のサポート・育成に務めます。また、スズキの内外に関わらずアスリートともに陸上教室や運動教室の開催を目指して活動していきます。
アスリートではなくなりましたがアスリート時代と変わらず、自身の価値を高め社会に提供・貢献していきます。新たなご縁を楽しみに。今後も変わらずサポート・応援いただけると幸いです。
アスリート中村明彦の応援に心から感謝申し上げます。
新たな中村明彦もどうぞ宜しくお願い致します。
中村 明彦
大会の時には現地の代理店・営業所の皆さんがご家族で応援に駆けつけてくれました(自販長野のみな様)
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